60年前の「日本の写真」をカラー化した結果!当時の日本が清潔すぎてタイ人がビックリ!【タイ人の反応】

Nintendo Switch Lite ターコイズ
楽天ブックス
¥ 21,978(2022/06/28 18:48時点)
京都 反応
https://unsplash.com/photos/lm7CYifb5r4

日本のTwitterで話題になっていた「約60年前に撮影された金沢市本多町を流す金魚売りのカラー化写真」がタイでも紹介されていました。何十年も前なのに美しすぎる日本の写真を見て感嘆するタイ人の反応をまとめました。

新着記事(翻訳)

1963(昭和38)年4月、金沢市本多町を流す金魚売り

先日、日本のツイッターで「約60年前の写真をカラー化したもの」が話題になっていました。

50年以上前の写真なのですが、道路も綺麗に舗装されており、最近撮ったものだと言われても信じてしまいそうなほど美しいのです。

それでは、そのツイートをご覧ください。

「写真」に関する海外の反応

日本の「明治時代の中山道の写真」が美しい!文明度と民度の違いを感じる!【タイ人の反応】 | 海外の反応アンテナ
日本のTwitterで話題になっていた「明治時代に撮影された中山道の写真」がタイでも紹介されていました。100年以上前なのにゴミひとつ落ちていない綺麗な道路の中山道の写真を見たタイ人の反応をまとめました。
日本の写真「ヒーローは路地裏にいる」がめっちゃエモいと大絶賛!【台湾人の反応】 | 海外の反応アンテナ
日本のTwitterで話題になっていた「ヒーローは路地裏にいる」という写真が台湾でも紹介されていました。日本でも「エモい」「めちゃくちゃいい写真」と大絶賛だった写真を見た台湾人の反応をまとめました。
日本人特有の感性?「あちら側」の写真がゾッとする、引きずり込まれそうと話題に!【台湾人の反応】 | 海外の反応アンテナ
日本のTwitterで話題になっていた「あちら側」の写真が台湾でも紹介されていました。『となりのトトロ』や『千と千尋の神隠し』、『夏目友人帳』に出てきそうな風景だと語り合う台湾人の反応をまとめました。

1963(昭和38)年4月、金沢市本多町を流す金魚売り。

この写真は、1963年(昭和38年)4月24日の北國新聞に掲載された白黒写真を、写真修復技師の「三木秀記 (@MikiAdjust) 」さんがカラー化したものです。

このツイートは8千回以上リツイート、3万回以上いいねされ、日本のネット民からたくさんのコメントが寄せられていました。

日本のネット民のコメント

新着記事(NEWS)

タイ人の反応

日本の町は50年以上も前からこんなにも清潔で整然としていたんだね…本当に美しい光景だなぁ。

1960年代なのに町がとても美しいね。

最初に見た時、去年か今年くらいに撮られた写真かと思ったよ。日本の町並みは昔も今も変わらず清潔なんだね。

道にゴミ一つ落ちていない!

素晴らしいなぁ! 生きている魚を担いで売り歩いている光景はタイでは絶対に見られないものだよ。こうやって売られているのは魚の干物ばかりだからね…。

揚げ物にしてくれるサービスもあるのかな?

今のタイでもこういう光景は見られるよ。町並みの清潔さは地域によるけどね。

雰囲気が今のタイの地方都市に似ているね。

この金魚売りのおじさんはもうこの世にいないんだろうな。後ろの子供たちが今60-70歳くらいというところだろうか。

ひとついかがですかー?

日本人ははるか昔から清潔な場所で規律を守って行動していたんだね。

この写真に写っている人たちは全員健在なのかな…?

日本人は長生きだから、この金魚売りのおじさんもまだ健在かもね^^

この天秤棒、重さ15kg以上あるんだろうな…。

こんなのを担いで歩いたら相当揺れるだろうけど、魚は死んじゃったりしないの?

現在のタイの町並みより清潔で発展しているように感じるのはなぜだろう

鮮明に写った綺麗な写真だなぁ。

55年前の道がこんなに清潔で、今のタイよりもはるかに町並みが整然として美しいなんて…凄すぎる!!

1963年の道が2021年のタイよりもきれいに舗装されている…!?

どの家も綺麗に手入れされていて、日本人は本当に清潔好きなんだなということがうかがえるよ。道にはゴミ一つ落ちていないし、売られている金魚の入れ物や水も全く汚れていないしね。

一般的な日本人は田畑を耕したり魚を釣ったりして暮らしていて、豚、牛、水牛、鶏といった家畜と一緒に生活していないから家の掃除や手入れが比較的簡単で、それが習慣となって綺麗好きの国民性になったんじゃないかな?

日本が清潔な国になったのは1950-1960年代のことで、それ以前の日本は汚かったって以前見たドキュメンタリー番組で言ってたけど本当かな。

東京オリンピックが開催されたころの日本は今のタイより汚かったみたいだよ。鉄道の車両内には痰を吐くための壺が置かれていたらしいし、オリンピックの会場はゴミだらけだったんだって。日本が清潔さを意識するようになったのはその後のことなんだ。

タイでは袋に入れた魚が塩ビ菅にくくりつけて売り歩かれている光景を見るよね。それと同じ感じかな。

道路わきの溝といい、溝ぶたといい、現在のタイと似たような雰囲気だね…。

現在の写真と言われても信じてしまいそうだね。

金魚は酸素がなくても大丈夫なの? タイの金魚は必ず一緒に酸素を入れて売られているよね?

写真に写っているのは金魚じゃなくて鯉じゃないかな。

タイで売られている魚の袋に入っているのは酸素ではなくて普通の空気だよ。空気を入れることで水の表面に動きを持たせて空気中から酸素を取り込めるようにしてあるんだ。この写真の場合、歩くことで水面が揺れて空気中から酸素を取り込めるんだよ。

バンコク都内の路地かと思ったよ。

カラー写真もとても美しいけど、元の写真も見てみたいなぁ。

“ร้านปลาทองเคลื่อนที่ ในเมืองคานาซาว่า พ.ศ. 2506”

コメント

  1. 日本が清潔って実は古代から言われてたりするんだよな
    日本を訪れた古代中国人も書いてるし、戦国期の宣教師も書いてるし、明治に訪れた西洋人も書いてるし、そして現代もそう
    変わらぬ国民性ってのはあると思うわ

  2. 日本人が言う汚いと外国人が言う汚いは基準が違う。治安についても同じ。

  3. コクリコ坂と同じく東京五輪前年か

  4. 金沢は空襲にも大震災にも遭ってないから、風情のある通りが綺麗なまま残ってるんだよね。
    坂の多い区域の裏通りの入り組んだ細道とか、すごい好き。

  5. 汚いっていってるのは戦後爆撃されて廃墟からの復活の時期だな
    その前はと言えばやはり綺麗
    そうしないと江戸時代から人口密度も高くまともに暮らせなかったという側面が強い
    ロバート・フレデリック・ブルームという画家が130年まえの街並みを鮮やかな色彩の
    絵画で残してる

    • 天秤棒を担いでで売り歩くスタイルの行商を棒手振りというんだが
      130年前の道路でも同じスタイルで売り歩いてた

  6. 写真では絶対に伝わってこない汲み取りアロマ。

  7. 写真修復士の技術がすごいわ

  8. 昔は臭突があちらこちらに生えてたしねえ

  9. ドブ板以外は今と変わらないな

  10. 普及する前とは言え、新し物好きならカラーのカメラを持ってるくらいの微妙な時代ね

    • カラーのカメラじゃなくて、カメラに入れて使うフィルムをカラーフィルムにするかモノクロフィルムにするかの違いね
      そしてカラーフィルムで撮影して現像したネガからプリントしてもらう時にカラープリントにしてもらうか、モノクロプリントにしてもらうかの違い

  11. 米22 :タイの名無しさん
    >日本が清潔な国になったのは1950-1960年代のことで、それ以前の日本は汚かったって以前見たドキュメンタリー番組で言ってたけど本当かな。

     確かに、第二次世界大戦で日本各地が攻撃され、汚くなりました。
    事実は、1850年前後に、日本に開国させ、植民地化しようとした、欧州各国の皆さんが
    日本全体で、清潔な町並み、識字率の高さ、衣服の美しさ、そして、銃と大砲を装備した軍隊、などを、ありえないと思うだろうが本当の事だ、
    と、自国の政府や軍に報告しています。
     しかし。そういう事実を隠して、東アジア用日国に都合がよいように、反日報道、反日小説家、反日漫画家、などが、日本が過去、汚かったと書いています。

  12. よくよく考えたら、この1年前がケネディ大統領暗殺事件起きたんだよな

  13. キューバ危機で世界の終りが垣間見えた一年後の光景とも言えるわけか

  14. モノクロ写真をカラー化したものはネット内でもよく見かけるけど、ここまで自然な色と雰囲気で色付けして、さらにその次代っぽさを出すために過度な高コントラストな光沢感ではなく、マット感で仕上げる技術はすごいわな。
    たしかに現在はデジタル加工もできるようにはなったとは言え。

  15. チューインガムと煙草の吸殻と犬の糞は消してるだろうなw

    • ガムはそれほどではないでしょう。
      犬の糞も今と違ってノラが多かったし、誰も糞の処理もせず放置だったけど、もともとそんな目立つほどはない。
      ただ、タバコの吸い殻はやたら多かった。

    • 日本人以外の人種が生活してなければ「チューインガムと煙草の吸殻」は有りませんよ。
      欧米とか東亜細亜反日とか。

      「犬の糞」・・・・ ノライヌ いたのかな?

      • 昭和30年代は繋留飼育が法律化され始めた時期なので、ノライヌ問題は減少しつつあった
        煙草のポイ捨ては、今の高齢者を見ればわかるとおり。悪いとすら思っていない時代

      • 昭和40年代まで都内にも野良犬はいたよ
        ただ、都会は食べ物が潤沢なせいか 地方の「野犬」と言われるような雰囲気ではなかったので
        放し飼いの飼い犬との区別はつかなかった

        あと 東京オリンピックの1964年時に電車車内に痰壺って何だよ…これ戦前まででしょ
        駅のホームの柱の陰とかにはあったけどな
        痰壺にも理由があって、当時蔓延していた結核の予防用で、今の時代なら各建物内の手のアルコール消毒液設置みたいなものだ

    • 桐生 ? まる源 ?
      田島養 ? 金沢市本多町 ?
      え? 何? 何で? まさかの山越えでもあるまいし、売り子さんの着物の意味がわからん。
      群馬県桐生市の絹と染めって事?

  16. >揚げ物にしてくれるサービスもあるのかな?
    金魚を揚げ物って・・・
    コイツらには魚を観賞するとかという文化はないのか?

    • タイには世界最大級で世界中の熱帯魚、観賞魚バイヤーも買い付けに来るチャトチャック大市場があるで。

    • タイはベタの原産国だし
      観賞魚王国

  17. 舗装道もアスファルトではなく、まだコンクリート舗装って感じだね(実際当時はどちらで舗装されていたのは知らないが)。
    国道も地方では今のようなきれいなアスファルトではなく、石混じりのコンクリート舗装されている道も多かった。

  18. >金沢市本多町

    ◎メモ
    加賀藩筆頭家老の本多政重家の屋敷町が本多町。市の中心部
    政重は家康の謀臣・本多正信の次男、正純の弟

  19. 背景の住宅街は現在と言われても納得しちゃう光景。
    しかし、さすがに金魚売りは現在ないだろう、と言うか、
    当時でもこれ商売成り立ったの?という不思議な感じ。

    • 金魚売りは季節ものなので専業ではなく、他の季節は別のものを売ってた

  20. テレビでアニメの鉄腕アトムや鉄人28号をやってた頃か。
    まあ昔といえば昔ではあるが。。。

  21. 日本海側の地方都市とは言え、すでにコンクリート電柱とか裕福自治体で都会っぽいわw


  22. 「きんぎょーえー、きんぎょー」
    「トーフー」


    「不用品ありましたら回収しまーす」

    なんか「たけやーさおだけー」は何故かまだ残っているらしいな。
    あと「わらび餅」と「焼き芋」はあるな。
    屋台のラーメン見なくなったな。(観光地以外)

    • 地元色が出るわなあ。
      うちの町は廃品回収と古紙回収業者が回っていたわ。
      行商販売は、農家のばあちゃんがリヤカーに農作物つんで売りに来てた。
      今では日本全国的に有名な某米菓メーカーや洋菓子メーカーのある県なんで、それらの商品行商していた人もいた。
      夏は、Kトラにスイカ満載で売りに来てたり、冬は焼き芋だな。
      竿竹、豆腐、わらび餅の行商、ラーメン屋台なんてなかったわ。

      • うちの地方はポン菓子(米を機械で熱する奴)、芋、ロバのパン屋、ラーメン、豆腐だった
        ポン菓子が来たら20人以上が集まってたな

    • 関東だとわらび〜餅冷やし飴〜は無いな
      ごくごく稀にラーメンのチャルメラは
      聞こえる

  23. 今の写真にしか見えない、何度見直しても殆ど一緒

  24. 60年代までは辛うじて金魚〜え〜金魚〜と言う金魚売りの掛け声が夏の風物詩でもあった。

    あの写真では戦後18年経ってるし地方都市では道の舗装も進んでたね。

  25. この時期だとギリ、カラーでも撮れたかもしれないがモノクロとカラーフィルムでは質の差があった
    写真や映画でカラーで撮れるのにモノクロを選ぶのはそっちの方が質の高い映像になるからって理由もある
    なのでこの写真もカラーで撮ってたらこの生々しさは出てなかったかもしれない

  26.  
     この頃の電柱って木製だぞ、

    防腐用のタールが塗られて黒っぽくなってる。

    なのに、なんでコンクリート製の電柱に変換するんだよ。www

    • 日本最初のコンクリート製支柱の電柱が立てられたのは1923年だとさ

  27. 餅系、和菓子系は節句シーズン限定で、かつ訪問販売形式だったな(地元の和菓子店に買いに行ったり、注文すればいつでも買えはしたが)
    いなり寿司とかも、和菓子店で取り扱っている品物だった
    同じ市内でも町によって違うかもだけど、隣町の事情までは知らねw 更に広範囲になる都道府県レベルでもかなり違うかと
    地域密着型、地元原産、そこの地域内業者・自営業者の販売方針次第だわな
    特注承り、道路巡回販売、訪問販売(富山の薬売りもこの形式)、注文配達販売(今風に言えば、デリバリーで、ご近所の魚屋に刺し身お造りや揚げ物注文して配達してもらったり、ご近所付き合い親密度も深く関係しているかもだが)
    ホンマ地元色濃厚で地域ごとに違っていた時代がまだ残っていたと思うわ

    • そうそう、稲荷ずしって鮨屋で食えるものじゃなくて、どちらかと言えば、寿物を扱う和菓子屋で製造販売していたものなんだよな。
      赤飯やおはぎと同じように。
      部分的にはスーパーやお惣菜屋もそれらを製造販売しだし、お寿司チェーン店でも取り扱うようになったと言うだけで。
      西日本の稲荷は関東とは違うからよく知らないが。
      関東のお稲荷さんは、どっちかと言えば、お供え用、慶事用、和菓子なんよ。

  28. 日本人としては非常に心震える一枚であるし、こうであったと思いたいけど、今の加工技術を考えるとそのまんま食べれんのよねぇ
    まあでも、良い一枚やな( ´∀`)

  29. 各家庭で家の前掃除してた頃だと思う、今より奇麗かもしれない。

  30. 自分の子供時代の記憶では60年代に金魚売りはいなかったが、他の市町村自治体ではまだそれを生業、販売形態の一環としてやっている人もその地域の地元にいたというのは否定しない。
    あくまでも自分の町では金魚は町内で個人経営している金魚屋(今で言うアクアショップ)に買いに行くか、祭りの時に周辺地域一帯からの業者、個人店が出店する数十店舗の屋台で買うかだったから(地元の祭ではなにげに一番多かった祭りの出店屋台w)。
    あくまでも自分の記憶の範囲と自分の町ではいなかったと言うだけで。

    道路舗装状況や電柱が木製だったのかすでにコンクリートだったのかも地域、道路によりけり(特定の年内に市内の道路が一斉に舗装化工事されたわけじゃなく、数年かけて順次舗装されていったし、電柱のコンクリート電柱交換も同様)。

  31. 現在は路上屋台も移動販売も許可取らないといろいろ問題が生じるから自由にはできなくなっているんよ。
    でも当時は行政上、法律上まだそこまでうるさくないから。

    100%路上、移動販売を生業にしている人もいただろうし、すでに店舗を持っていて、売上のために巡回移動販売も同時に家族経営者もいただろうし、老後の趣味と小遣い稼ぎバイトを兼ねて卸売業者から商品を自費購入して、小売移動販売をやっていた人もいただろうし、いろいろだっただろうから。

  32. 撮影用に、当時からすれば更に昔の状況を再現、コスプレの一環として再現してもらったものを撮影している場合だってある。
    たった1枚の写真からでも、いろいろ考えられるものは多いんで。

    まあ白黒写真のカラー化、スキャントリミングとカラー加工技術、再現性技術はまた別の話だけどね。

  33. 舗装されてる処を見るとこれでも主要道なんだろうな。
    金沢は元々道の狭い都市だったか。
    今ではトンネルの中でしか見られないコンクリ舗装だが、昔はアスファルト舗装なんて無かったしな。
    アスファルトは安いけど、直ぐ駄目に成るから道路工事が増えた原因でもある。

    • 1963年時点で舗装されているということはそうなんだろうね。
      国道、県道、市道、私道、主要幹線道路~等級別優先順位道路次第で数年~十数年かけて舗装化していってた時代だから(私費、自治体の財力によっては逆転現象が起き、舗装化優先順位や質が悪いw)。

      アスファルトは、レーシング上の路面にも使われるくらいにそれなりに特性持った舗装形態で、長所もある反面、決定的な短所もある(柔らかいから摩耗が激しいし、陥没で路面が凸凹しやすい)。
      コンクリート舗装道は短所は滑りやすくて、走行振動と音が激しい、経年劣化で初期の場合は石が浮き出てきて、非常により滑りやすくなり石畳走行しているかのように振動が半端ない、道路工事修復も簡単ではない。

  34. 金沢は明治くらいまでは日本で一番栄えてたんだぞ
    洗練された街並みの名残があったんだろう

  35. こういうリアルに補正された写真はいいね
    なんか昔の写真は色あせてたりピンボケしてたりして
    自分の中の記憶も逆補正されてしまうのが悲しい

  36. 旧城下町とか田舎行けば同じ景色が見れるよ。全く変わってないからw

  37. 平安時代から町並みは綺麗だぞ

  38. こういうのはめっちゃ根気のいる作業でね
    例えば、インクジェットプリンターで写真並のカラー印刷できるでしょ?
    あれは超細かいインクを吹き付けてあって、画素単位でのドットやねん
    白黒写真のカラー化、修復加工も、超絶拡大してドットで色付けしていく

  39. 60年代ならとっくに落ち着いてる頃だろ
    汚ない町並み見たいなら40年代だな

  40. 1964年の東京オリンピックのときに東京中の路上にゴミ箱を設置したんだよ
    道端のポイ捨てをなくすためにね
    当時はそれくらい民度が低かった

    ちなみに金網で作ったゴミ箱は家庭ごみを投げ入れられないよう撤去されて消えたけど
    一部コンクリートで作っちゃったものがあって撤去できず
    蓋をされて謎の箱になっているものが残っている

    • うそですね。記録では、明治の頃からですし。

      • 悪いことは言わないから、祖父母にでもきちんと話を聞いてごらん。ネットなんかよりよほどリアルで信頼のおける話が聞けるだろう。
         ちなみに私は70年頃から後の東京23区西部のことしか知らないが、昔はほんとにそのへんにゴミを捨てる奴は珍しくなかった。いい大人がポイ捨てするのは、少なくとも90年代前半までは続いていた。

  41. いえ、江戸時代にも護美箱が有ったようですよ。
    大きな街道沿いの街角に。
      まあ、その、1964年とかいうのは、日本在住の日本人以外が作った話ですね。
    母国の状況が状況でしたので、日本の状態を悪くしたくて。

  42. 江戸時代の江戸の町の清潔さは、世界でもトップクラスだったらしいね。
    なによりいろんな物のリサイクル率がかなり高くて、
    壊れたものを修復して売る商売とかもあり、古紙を回収して漉きなおしたり、
    糞尿は堆肥として売買されていたりとか・・・
    その後西洋文化が入るにつれ、大量消費に変わってしまったそうだ。

  43. 日本昔話で勉強・修行・なんかの反省だいたい全部掃除だったからなあ
    根付いてる感覚があるよね
    あと仏教徒って自覚はないけど地域の清掃活動やらは残ってたり

  44. なんか変に感動してるけど、たったの50年ほど前の事じゃん。
    こんくらい普通でしょうよ。
    家のじいさんが、20代くらいの時代だもん。
    朝ドラあたりでも、そんくらいの時代考証の町並み、きれいじゃんか。

ads